福島第一原発事故から学ぶ、日本における原子力発電の今後の在り方

環境問題

2011年3月11日に東日本大震災発生を受けて起こった福島第一原発事故以降、日本では今日に至るまで「国内における原子力発電の在り方」「原子力に代わるエネルギーの普及」などについて度々議論が交わされています。
そもそも、日本では一体どのような流れで原子力発電が全国的に広く普及したのでしょうか。
そして3.11から10年近く経った現在、国内における原子力発電所(以下、原発)の稼働状況はどうなっているのでしょうか。

今回は原発の歴史を振り返りながら、「福島第一原発事故のような痛ましい事故が二度と
起こらないようにするためにはどうすべきか」という点について考えていきたいと思います。

日本における原子力発電普及の道のり

1945年の第二次世界大戦終戦以降、日本では連合国からの通達により、しばらくは原子力に関する研究が全面的に禁止されていました。
しかし、終戦から7年後の1952年に「日本国との平和条約」(※)が締結され、翌年の1953年に開催された国連総会では当時のアメリカ大統領ドワイト・D・アイゼンハワー氏が
「平和のための原子力」という演説を行ったことから、日本でも原子力に関する研究の再開を望む声が高まっていきました。

そして1954年には、当時改進党(1952~1954年に存在していた政党)に所属していた中曽根康弘氏、稲葉修氏、齋藤憲三氏、川崎秀二氏により原子力研究開発予算が国会に提出
され、ついに1955年には「原子力基本法」が成立します。
この基本法では、「原子力の研究及び開発はすべて平和利用のためのものに限る」と定められています。
とはいえ、当時はまだ原子力発電所(以下、原発)を建設するためのノウハウが日本にはなかったため、アメリカやイギリスなどに協力を仰ぎつつ、原発の開発が進められることになりました。

そして1963年10月26日、茨城県那珂郡東海村に建設された日本初の動力試験炉であるJPDRが初発電を行い、ついに日本初の原発が誕生しました。
これを記念し、毎年10月26日は「原子力の日」として定められています。
この国産原発第一号の運転開始以降、日本では原発に関する技術が飛躍的に向上し、
全国各地に原発が建設されていくことになります。

※日本国との平和条約…アメリカを始めとした連合国諸国と日本との間に残っていた戦争状態を終結させるための条約

導入が進んだきっかけは「オイルショック」

原発における技術躍進が進む中、世界は第一次オイルショック(1973年)、そして第二次オイルショック(1978年)による大きな混乱に呑まれていくことになります。
それは日本も例外ではなく、他国と同様に「恒久的に安定して供給できるエネルギーの開発及び普及」が重要課題として認識され、度々議論されるようになっていきます。
その中で一つの解決策として提案されたのが、原発のさらなる普及でした。


日本ではこれ以降、加速的に各地への原発導入が進められていくことになります。
1973年には、当時の首相である田中角栄氏が国会にて「重大な決意をもって原子力を促進していきたい」と述べ、1974年には発電所の立地を確保するべく、立地地域への交付金を定める法律が作られました。

このような政策や、高度経済成長期が落ち着き人々の生活に電力が欠かせなくなってきた
時代の追い風もあり、日本ではますます原発の普及が拡大していきました。

2000年代は「原子力発電=クリーンエネルギー」だった!?

原発が名実ともに国内の主力エネルギーとして確立してきた1990年代後半頃から、日本では徐々に環境問題に対する意識が高まっていきます。
中でも問題視されていたのは地球温暖化でしたが、それに対し原発は「温室効果ガスを排出しない」という点に関しては環境負荷が少ないと考えられていたため、日本のみならず世界各地で新たな建設計画が進められるようになりました。

日本国内において原発に向けられた信頼は厚く、2010年に策定された「第三次エネルギー基本計画」内には、「2030年までに国内エネルギーにおける原発比率50%超を目指す」とまで記載されています。
とはいえ、国内初の開発以降一度も事故が起きなかったわけではなく、1995年には福井県の高速増殖炉「もんじゅ」(2016年に廃炉)でナトリウム漏洩事故が発生、1999年には茨城県にある東海村のウラン加工工場にて臨界事故が発生し、後者に至っては被爆者、さらに死者を出しています。
この他にも点検に関するデータの不正などが発覚し、徐々に原発に不信の目を向ける人々も増えてきましたが、その後も原発の運転に関して抜本的な見直しが行われることは中々ありませんでした。

「安全神話」が崩れた福島第一原発事故

度々事故や不正がありつつも大きく揺るぐことはなかった「原発安全神話」ですが、
ある事故を境についに根底から崩れることになります。
それは冒頭でも触れた、2011年3月11日の東日本大震災の影響で発生した福島第一原発事故です。

この事故では、原発内の冷却系統が故障して核燃料が融解する「炉心溶融(メルトダウン)」や水素爆発などの発生により、多量の放射性物質が大気中、土壌、海水などに放出されました。
これによる汚染は国内外にまで広がりましたが、やはり特に大きな影響を受けたのは原発周辺地域です。
当時周辺地域に暮らしていた住民のほとんどは、県内外への避難を余儀なくされました。

この事故は世界的にも非常に深刻に捉えられ、国際原子力事象評価尺度(INES)においてレベル7に分類されています。
このレベル7というのは原発事故の中では「最悪レベル」とされ、1986年に発生したチェルノブイリ原発事故と同等となっています。

未曽有の原発事故を受け、日本政府は本格的に原子力発電の今後の運用について見直すことを決断します。
2014年には「第四次エネルギー基本計画」を閣議決定し、その中では「省エネルギー及び再生可能エネルギーを積極的に導入し、火力発電もさらに高効率化させることで、原発依存度を最大限低減させる」という旨を明記しています。
その上で、近年では「2030年度には総発電電力量のうち原発が占める割合を20%~22%程度とする」という目標が掲げられています。

日本は世界的に見ても決して資源が豊富な国というわけではありませんが、だからこそ毎年のように変動する気候への対応、エネルギーにおける海外依存度の見直しをどう行っていくか考えた上で、最も日本に合ったクリーンなエネルギーの在り方を模索していく必要があると言えるでしょう。

原子力発電を取り巻く現状とこれから

現在、日本では福島第一原発の事故による反省から学び、
「極力原子力に依存しない社会づくりを行う」
「もし停止中の原発を再稼働する場合は徹底的に安全性を確認する」
という主に2つの目標が掲げられています。
そして事故当初は一度日本中の原発の稼働が停止しましたが、現在では安全性における新規制基準を通過した原発のみ稼働可能となっています。
経済産業省・資源エネルギー庁が発表した2020年10月13日時点のデータによると、日本における現在の原発稼働状況は次のようになっています。

・再稼働済み・または再稼働が決まっている炉…9基(うち7基は停止中)
・原子炉設置(または変更)許可が下りている炉…7基
・新規制基準審査中の炉…11基
・審査未申請の炉…9基
・廃炉決定された炉…24基

上記のデータを見ると、原発の稼働数は着実に減っているのだということが分かるのと同時に、やはり長年依存してきた原子力エネルギーを完全にゼロにするのは簡単ではないということも分かります。
それでも、よりクリーンな社会が実現されることを信じ、今後も変化していくであろう原発を取り巻く状況については、引き続き注目していきたいものですね。

まとめ

今回は日本における原発の在り方について見ていきましたが、原発の危険性が分かった
反面、完全に廃炉することの難しさについても考えさせられるものがありましたね。
また、「自分には何もできることはないな…」と思ってしまった方もいるかもしれません。
しかし日本、ひいては地球環境をより良くするために大切なことは、何よりも「知ること」そして「考えること」です。
再生可能エネルギーの筆頭である太陽光発電システムを取り扱っている当社スタッフ一同も、「クリーンなエネルギーをさらに普及していくためにはどうすべきか」という点について、今後も常に考えていきたいと思います。

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